オズドエフがインタビュー企画に登場!!
追加 | 筆者 Yoshiki Kato | コメント
オズドエフがインタビュー企画に登場!!

ゼニトMFオズドエフがロシア大手通信会社メガフォン社の生配信インタビュー企画に登場し、様々な質問に答えました。

(以下、質問内容を抜粋しています)

・こんにちは!自宅待機をどう過ごしている?
→実のところ、家でじっとしているのは辛いね。子供たちは朝早く起きて、夜は遅くに寝ている。朝から公園に行って、疲れて帰ってくるようなことができないからね。時々リモートでオンライン学習をしているよ。
僕らゼニトのメンバーは毎朝、オンラインでチームトレーニングがあるんだ。飽きないように多くの追加メニューがある。全体練習以外の時間でも、活力を持てるようにしている。
多くの人が過ごすように、映画やドラマを見たり、読書をしたりすることができないんだ。

・全ての時間子供たちと過ごしながら、トレーニングを?
→休憩を除いた全ての時間を一緒に過ごしている。時々夜中にベッドで寝ていると自分に「何が背中についているんだろう。合宿でもこんな疲れたことないのに」と呟いているよ。

・どんな料理が好き?
→たくさんあるよ。凝った料理が好きとは言わないけど、奥さんやレストランで作られたものはなんでも食べるかな。違いは無いよ。

・何歳からサッカーを始めたのか。
→だいぶ幼い頃からやっていたよ。公園を走り回っていた。記憶があるのは、恐らく5〜6歳の頃かな。でもあれはルールに則っていない、草サッカーだった。9歳から練習を始めたんだ。

・いつ頃からクラブに通うようになった?
→父親が練習を始めてくれた。その時は地域のチームにいたね。毎日練習して、大会にも出たよ。

・幼少期の好きな選手やチームはあった?
→子供の頃から多くの子と一緒でレアル・マドリードを応援していた。僕はジラルディーノ・ジダンと怪物・ロナウドの大ファンだった。W杯の後、ロナウドと同じ髪型にしたんだ。写真はカメラが無かったから残っていなんだ。一週間その髪型で出歩いて、その後父親に「もう十分だろ」って言われたんだ。

・この話をどこかでもしたことある?
→多分無いな。いつも近所のおばさんに髪を切ってもらっていたんだ。それで僕は彼女のところへ行って、「ロナウドみたいな髪型にしたいんだ」と頼んだ。すると彼女は「どんなロナウドよ?見せてみて」と。僕は「ロナウドは坊主で、おでこに前髪があるんだ」と説明した。そうしたら彼女は「わかったわ。バリカンでやってあげるから、ストップって言ってね」と。

・それは凄いね。この髪型に対して周りの反応は?
→笑われたよ。兄弟はとても笑っていた。でもその髪型で試合にも出たんだよ。

・ロシア・プレミアリーグでどのチーム、どの選手と対戦するのが大変?
→最も難敵はここ2年のロコモティフ・モスクワだね。いいチームで、選手層も厚い。バランスが取れているね。また相手をよく熟知している。
選手で言うと、スピードのある選手は苦手なんだ。クラスノダールのヴァンデルソンと対峙するのは、いつも大変だね。

・ゴールパフォーマンスはどうやって考えたの?
→よく答える質問だね。メインは子どもたちの応援に対するものなんだ。

・なぜあのようなジェスチャーを(拝むようなジェスチャー)
→神に向けてのお辞儀をしているんだ。

・訪れた場所で一番美しいなロシアの場所は?
→もちろん、故郷の山々だね。イングーシ共和国にあるんだけど、とても美しい場所だよ。そこには一族の塔があるんだ(イングーシ共和国には塔を建てる伝統があり、今も現存している)。

・ペテルブルクで入番気に入っている場所は?
→中心地かな。ペテルブルクに引っ越してきて最初の半年は大変だった。多くの物事が中心地で成り立っていて、支え合っていて、何があそこで起きているのか理解できなかった。その後、慣れ始めていき、好きになっていった。中心地から少し離れたところへ引っ越したけど、時々窓からスモーリヌィ教会を眺めているよ。非常に美しいね。

・長く控え選手としてベンチにいたが、チャンスを掴み、ゼニトとロシア代表で欠かせない選手になっている。チャンスを待つのは辛いものだった?またチャンスを得るための努力は必要だったか。もしくは全て自分自身で成し遂げたのか。
→どんな選手も自分のチャンスを待っている。それは辛いものだ。どんなに練習を多くこなしても、待つしかない。どのプロスポーツにおいても、多くの選手は自分のチャンスを掴む準備ができていると思う。準備できていない選手は、リタイアしているだろう。準備しなきゃならないんだ。
僕は中堅クラブからリーグ屈指の強豪クラブに移籍したんだ。自分のために、正直に言うと1年間は、前の所属クラブのレベルとは全く異なるレベルに適応する必要があった。僕はどれくらい自分が準備できているか、どれくらいこのチームで自信があるかを認識するために、この時間は必要だと思ったんだ。

・ずっと中盤でプレーし続けてきたのか。他にどんなポジションでプレーした?
→子供の頃はフォワードでプレーして、たくさんゴールを決めたよ。その後身長は伸びたけど、スピードは速くならなかった。そしてMFに転向して、ボランチになった。最終的にこのポジションは、ディナモ・キエフのユースで鍛えられたね。

・もし今ポジションを変える必要があると言われたらどうする?
→問題ないね。もしセンターバックと言われたら、喜んで!と言うよ。実のところ、ボランチとセンターバックは大きな差は無い。だから問題は無いよ。右サイドバックもできるよ。アニュコフが怪我をした時だったと思うけど、怪我人が出た時、セマク監督は「右サイドバックができるか」って聞いてきたんだ。それは練習の時で、僕は「喜んで!」と答えたんだ。それで右サイドバックをやったよ。

・好きな本を教えて。もしあればサポーターに勧めてみて
→最後に読んだ本は、たしか「The Truth About the Harry Quebert Affair」だったかな。合宿でもいくつか本を持っていくけど、時間が足りないんだ。トレーニングをして休んで、2回目のトレーニングをして、それが長引くと何も新しい本を読めなかったんだ。ドラマもいつも一つも見ないね。

・普通のサッカー選手みたいな暮らしができないんだね
→そうかもしれない。早めに練習場に行って、帰るのも最後の方だからね。その後ケアをして・・・家に帰ったら家族に時間を割かなきゃならないしね。

・サッカー以外で好きなスポーツは?
→バスケットボール。でもNBAじゃない。ロシアの。アメリカは夜中に試合がやっているからね。トップレベルなのはわかっているけどね。あと時々バレーボールを見るのも好きだよ。

・総合格闘技は好き?
→ボクシングが好きなんだ。あれは芸術だね。僕の個人的な意見だけどね。総合格闘技は、喧嘩だね。子供の時は喧嘩を見たから、もう十分だ。

・もしボクシングが芸術なら、誰が優れた芸術家?
→ロイ・ジョーンズだね。

・モハメド・アリは?
→アリは録画でしか見たことないんだ。彼は芸術家ではなく、ボクサーだね。子供の頃見たのはジョーンズ。あとはメイウェザー、レノックス・ルイス、マイク・タイソン、イベンダー・ホリフィールド。アルツロ・ガッティも大好きだった。

・自分でもボクシングはやる?
→いやボクシングはやってないよ。でもできる。

・背番号の27番に関して
→ロコモティフ時代から27番をつけていたんだ。移籍した時も空き番だったから、27を選んだ。

・何か意味のある番号なのか
→いや特に意味はないよ。ロコモティフに移籍するまで、テレクのユースとディナモ・キエフユース時代は31番をつけていた。31番をつけたのも、その番号が空いていたから。ロコモティフと契約をした時、僕に空き番号を紹介されたんだ。その時僕の友達が一緒にいて、彼は僕を見ながら「31番は嫌いだから、27番にしなよ」と言ったんだ。それで僕も「わかった」と答えたんだ。

・初めての代表戦のこと覚えている?
→もちろん覚えているよ。あれはとてもセンセーショナルだったよ。代表の宿泊地に向かいながら、自分のことだけなく、クラブや国のことを思い描いたんだ。カペッロが僕を呼び寄せた時、僕は試合に出れるんだろうかと心の中で思った。するとカペッロは僕に「全力で準備しろ。君は出れる」と言ってくれた。
この時僕はアンダー世代の代表にも出れたし、年代別代表はとても重要な試合を戦っていた。またその年はルビンカザンに移籍したんだ。

年代別のスタッフから僕に電話があって、「元気かい?年代別の代表に来れないか?今、次のラウンドに進むためには、勝つことが非常に大事なんだ」と。僕は「問題ないけど、状況によるよ」と答えた。すると彼は「君がフル代表に選ばれた情報は知っている。カペッロ監督に電話して年代別代表の試合に出たいと言えるかい?」と言うんだ。僕は「そんなことできるのかい?フル代表に招集されているのに、電話して年代別代表に行かせてくれって頼むのかい?もしあなたが自分でやるならいいですが、僕個人が電話したくはない。僕がどちらの代表に行くか、それは僕の管轄外の話だ。話が代表に関してなら尚更だ」と答えた。彼らはフル代表側に連絡を取ったが、許しは得られなかった。僕は彼らに「全ての質問はコーチ陣に対してだ。僕はどちらの代表に行くかは答えることはできないよ」と言った。結果、フル代表に召集され、2試合に出場したんだ。

・最初の代表戦の対戦相手は?
→アゼルバイジャン。結果は確か4−0で勝ったと思う。時間が経つのは早いから、いろいろ忘れてしまったよ。

・試合前のプレッシャーにどう打ち勝った?
→最初の3本のパスは、自分のペースで蹴った。後ろ、左、右、前、方向は関係なく、自分のペースで。そうするとすぐに自信が湧いてきて、試合に入れていることを理解できるんだ。

・この代表戦より前に大きなプレッシャーを感じたことはある?
→初めてのペテルブルクでの試合。ゼニト対ロコモティフ戦。1−1の引き分けで終わったね。

・ロシアで活躍した中盤選手で3人挙げるとしたら?
→引退していてもいいのかい?まずセマク(現ゼニト監督)、それからロスコフ(ロコモティフで活躍したロシア人MF)、それからラヒミッチ(CSKAで活躍したボスニア・ヘルツェゴヴィナ人MF)かな。これがトップだね。

・現役選手の中で一番好きな中盤選手は?
→守備的な選手と攻撃的な選手に分けられるけど、攻撃的なMFはデ・ブライネがトップを牽引しているよね。彼のゾーンをこじ開ける力とボール運びは本当に素晴らしいよ。守備的な選手はカゼミーロだね。

・サポーターによくユニフォームをプレゼントする?
→毎試合後にシャツをあげているよ。ただ知り合いに事前に頼まれている時だけどね。毎回スタジアムでプレゼントしているわけじゃない。時々試合後に前から頼んでくれている子どもにあげることはあるけどね。

・ユニフォームのコレクションはある?
→あるけど誰のユニフォームを持っているかははっきり思い出せない。一番思い出深いのはロスコフのユニフォームだね。そのシャツは父の友人にプレゼントしたんだ。彼のファンだったから。よく頼まれるんだ。ウルグアイ代表と試合した時は、フォルランと交換したけど、それも父から頼まれたものだった。ユニフォーム収集家とは言えないね。去年も父に頼まれてゼニトの多くの選手からユニフォームをもらったよ。アニュコフやジルコフ、イヴァノヴィッチ 、ジューバからね。

・人生で一番大切なものは?
→誠実さ。これは全てのものを与えてくれる。

・最後に観客としてサッカーを見に行ったのはいつ?
→たしかUEFAチャンピオンズリーグのローマ対レアルマドリード。2、3年前の試合だった。その時はレアルが勝った試合だったけど、クリスティアーノ・ロナウドが素晴らしいゴールを決めたんだ。その時初めて、彼がプレーしているところを生で見たんだ。そして彼がベストな選手だと理解したよ。とてつもないスピードでプレーしていたんだ。
同じタイミングでセビージャ対バルセロナも見に行けたんだ。メッシを見にね。その日は大雨の日で、最悪の天気だった。僕らは最前列で試合を見ていた。ファンショップでマフラーと帽子を買って、暖かくして座っていた。ラキティッチのゴールでセビージャが先制したけど、その後メッシがゴールを決めたんだ。それは素晴らしかったよ。ロナウドやメッシを生で見れば、なぜ彼らがトップオブトップなのか理解できるだろうね。

・でも一番試合で見ていたのは?
→ジダン監督だね笑

・バリオスが君に何かを教えたのは本当?それともそれは誤った噂?
→彼は監督ではないから、何かを教えてくれたとは言えない。確か彼の移籍後に、僕が試合に出始めたんだけど、僕がやることで何かが変わったわけではないんだ。自分の力を示すことができる、出場機会が訪れた。それに加え、バリオスと僕はお互いを理解し、連携してプレーができるようになった。試合中のバリオスをよく理解するために、パートナーを見つけることは容易なことではないだろうと思う。それに僕らは人生の中でほとんど交流がなかったわけだ。だから僕らは多くの時間を一緒にクラブハウスで過ごし、そこからお互いの理解が生まれていった。練習の時は、バリオスと交流を図る。僕は彼にロシア語と少しだけボクシングを教えているよ。クチョ(バリオスのあだ名)は全く異なる人生を歩んでいて、他にない人間だよ。

・クチョってどんな意味?
→クチョは訳すと友達とか仲間みたいな意味さ。バリオスがアルゼンチン人選手とお互いをクチョと言って話していたんだ。僕らは彼にどういう意味かを聞いて、彼は意味を教えてくれた。それを聞いて、じゃあ君をクチョと呼ぶねとなったわけ。

・セマク監督はどんな風に選手と接している?穏やかに?寛大に?厳格に?
→セマク監督は非常に落ち着いた人だ。大声を出すことはあまりないけど、僕らにテンポを上げるよう指示する時は、大声を出しているね。


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